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2009年12月12日 (土)

伊豆の国、水の景

11月28日(土)~29日(日)に静岡の三島から伊豆箱根鉄道に乗って修善寺まで行ってきました。三島は市内のあちこちから清冽な湧水が湧き出し、幾筋もの川となって流れています。伊豆箱根鉄道に乗って中伊豆に向けて出発すると、右手の沼津の方向に向かって流れ下るそれらの川と交差したり、流れに沿って走ったりすることになります。ところがしばらくすると、行く手にそびえる天城山から下ってきた狩野川が右手にあらわれ、線路はそれを遡る形で修善寺まで続いています。今回の旅では伊豆の国が見せる様々な水の景色を楽しむことができました。なお、今回も鉄道紀行が別にありますので、伊豆箱根鉄道についてはそちらをご覧ください(伊豆箱根鉄道を撮影 前編後編)。

三島

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三島駅の新幹線ホームから眺めた富士山。朝の澄んだ空気のおかげで手の届きそうなほど近くに迫って見えます。

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三島市内南部にある柿田川湧水。第2展望台から眺めた水源。ボコボコと盛り上がるように底の砂を躍らせながら清水が湧き、青い水の中には魚影も見えます。

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柿田川の川面に遊ぶサギ。むこう岸には小舟がもやってあります。

狩野川(かのがわ)

天城山から北流してくる一級河川。古くから暴れ川として有名で、最近では昭和33(1958)年の狩野川台風による水害で田方郡全体で800人余の死者を出しています。治水対策として放水路を開削しようという案は江戸時代からあったそうですが、実際に伊豆長岡の江間から駿河湾までの区間が着工に至ったのは狩野川台風来襲前の昭和26(1951)年、完成は昭和40(1965)年のことでした。

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朝の狩野川。右手の山にはかつて瓜生野金山(大仁金山)があり、大久保石見守長安により、慶長2(1597)年から数十年間にわたって採掘が続けられました。大仁温泉はこの廃坑から昭和の初めに突如湧出したもので、対岸の温泉街に引かれています。

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2007年に完成した新大仁橋から上流側を望む。画面下部中央に見える四角い物体は、流失した昔の橋の橋桁のようです。

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すぐ隣には大正4年にかけられた旧大仁橋の基部が残されています。狩野川台風の水害で左岸部分が流失、川幅が広がったためにもう一つ橋を架け、新橋完成後の2008年に撤去されました。伊豆箱根鉄道の前身である豆相鉄道は大仁が終点だった時代が長く、修善寺へ行く人はかつては皆この橋を渡り、歩いて山を越えたそうです。

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大仁神社。平安時代初期に近江の日吉大社を勧進して創建されたと言われています。

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狩野川はアユの釣漁法である友釣りの発祥の地とされていて、手水舎の水口が鮎の形をしています。

桂川(修善寺)

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狩野川をさらに遡ると、左岸から合流してくる支流が桂川です。修善寺温泉街は紅葉が見頃でした。

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渓流に覆いかぶさるように枝を伸ばす楓が見事です。

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