« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

2009年3月31日 (火)

太陽光線の100億倍の明るさのX線でミイラを分析

今回はミイラの研究技術の話題です。スキャニングの技術は日進月歩で、どんどんミイラを丸裸にしていきます。

========

太陽光線の100億倍の明るさのX線でミイラを分析

太陽光線の100億倍もの明るさのある英国のX線技術を使えば、ミイラなど古代遺物の内部の分析が可能に。

マシュー・ムーア

 

ビームラインという新しい装置を使用することで、科学研究者や考古学者は大きな物体の内部を透かして観察し、中に何があるか、どのようにして作られたかを研究することができるようになる、とタイムズ紙が報じた。

大英博物館所蔵のエジプトミイラのうち3体が、オックスフォード州にある科学研究施設「ダイヤモンド・ライト・ソース」に設置されたJoint Engineering, Environmental and ProcessingJeep=ジープ)というビームラインを使用する初めての研究対象となる予定だ。

大英博物館のジャネット・アンバース氏は同紙の取材に対し、「この装置を使えばミイラの製作に用いられた技術や素材を解明する手掛かりになるでしょう。さらに19世紀に補修が行われた際にどのような方法がとられたのかもわかります」とコメントしている。

「この装置を使えるようになるのはとても楽しみです。当館の所蔵品をこれまでにない新しい方法で観察することができますから」と同氏。

ジープ・ビームラインによる研究の実績がある科学者、ジェン・ヒラー氏によると、考古学者はこの装置を使えば研究対象を傷つけることなく古代の遺物の謎を解くことが可能になる、という。

ダイヤモンド・ライト・ソースには他にも強力なX線装置があるが、それではもっと小さな物体しか扱えない。

「今までは大きい遺物をこれほど精確にスキャンして映像化することはできませんでした」と同氏。

大英博物館のプロジェクトに関して言えば、「ミイラの内側にあるものが映像になって見える可能性があります。エジプト人はミイラの中にいろいろなものを隠していることが多いのですが、石棺やミイラの覆いの内側にあるものはとても壊れやすいのです」とのことだ。

ダイヤモンド・ライト・ソースはオックスフォード州ディドコット近郊に位置し、2007年にオープンした総額26億ポンドの研究施設だが、ジープ・ビームラインは同施設が作り出した強力なシンクロトロン光源を備えている。

出典: http://www.telegraph.co.uk/   2009年2月17日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月25日 (水)

イランの「ソルトマン」の保存方法についての議論

今回は「イランのミイラ」と称される古代の塩漬け遺体の話題です。果たして時代を越えて「生きのびる」ことができるのでしょうか。

========

イランの「ソルトマン」にしのび寄る危機

テヘラン・タイムズ文化部

テヘラン発:古代のイラン人「ソルトマン」が危機的状況に。

 

ペルシャの通信会社CHNが今週水曜に報じたところによると、イランのミイラと呼ばれている6体の塩漬け遺体(ソルトマン)は、いずれもザンジャーン近郊のハムゼフル地方にあるチェル・アーバード塩山でここ12年のあいだに発見されたものとのことだ。

ザンジャーンのゾルファクァリ博物館に保管されている4体目のソルトマンを調査したところ、遺体は2,000年前のもので、死亡時の年齢は15歳か16歳であることがわかった。この博物館には他に3体のソルトマンが保管されている。

これらのミイラの保管用に設計されたプレキシガラスのケースは密閉が完全でない。気温や気圧の変化によってケースにひびが入り、バクテリアや虫が侵入し、ミイラを脅かしている。

4体目以外のソルトマンがいつの時代のものなのかはまだはっきりしていないが、考古学者の推定によると、1体目のソルトマンはおよそ1,700年前の人物で、死亡時の年齢は35歳から40歳である。このミイラは現在テヘランのイラン国立博物館でガラスケースに納められて陳列されている。

イラン国内には保存に必要な機器が不足しているため、6体目のソルトマンは発見された場所にそのまま置かれている。

「ソルトマンを専用の保管用ケースで保存するというのは全然当たり前のことではありません」と話すのは、チェル・アーバード塩山の考古学調査を監督するアボルファズル・アーリ氏だ。

「ケースはどんなものでも問題ありです。4体目のソルトマンのケースには内部の湿度をコントロールするために、たくさんの管が差し込まれています。しかしケースにひびが入れば、それも台無しです」と同氏はつけ加える。

「発掘後から特に外見上の変化が見られるわけではありません。しかし見た目に変化はなくても、内部組織にバクテリアが侵入し、大きなダメージを与えています。軽く調査した程度ではわからない問題なのです」というのが同氏の説明だ。

プレキシガラスのケースはイラン考古学研究センター(ICAR)出身の専門家、マニジェ・ハディアン氏の監修を受けて設計・製作されたものだ。

「いちばん性能のよいケースは4体目のミイラのために作られたものです。それでも一時的な保管にしか使えないものです」と同氏。

ひびはケースを何度も移動させたためにできたものだと同氏は考えている。

ミイラたちは当初ザンジャーン州のラクトシュイカネフ博物館に保管されていた。ソルトマンを永久保存するケースをつくるための研究はすでに完成しており、装置をつくるための資金を集める必要があるそうだ。

1体目のソルトマンはイラン国立博物館に保管されています。発見から12年が経過していますが、特に変わった様子はありません」と同氏。

「温度や湿度、光量などの物理的条件を監視し、コントロールしてやることが、一般的にミイラを保存するうえでの必要事項です。そうした条件さえうまくコントロールできれば、文化遺産の保存には何の問題もありません」

4体目のソルトマンのケースにはデジタルの温度計が設置されており、ゾルファクァリ博物館の研究員には何か変化があればICARの専門家に連絡するように指示がしてあるという。

 

ところでアーリ氏によれば、長い目で見た環境の整備はザンジャーン州当局が行うべきものだそうだ。

「博物館には湿度管理のためにヒーターが設置されています。しかし博物館の中の大気の状態を思い通りにコントロールすることは不可能ですし、じっさい雨期や夏期には温度がかなりの幅で変化します」と同氏。

「ミイラが簡単に腐ってしまうことはありません。大気の状態をうまくコントロールすれば、ソルトマンを無傷のまま保存することができるでしょう。ただ現状の保管方法では長期的に見るとあまり効果的ではない、ということです」というのが同氏の意見だ。

出典: http://www.tehrantimes.com  2009年2月14日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月18日 (水)

フクロウはスポーツ施設が大好き!

フクロウはスポーツ施設が大好きなようです。来年行われるバンクーバー・オリンピックの会場を、複数種のフクロウがねぐらにしているそうです。スピードスケートの最中にフクロウが一緒に滑ったりしたら、かなり見ものですね。

========

オリンピック・オーバルがフクロウのねぐらに

グラント・ロバートソン

 

2010年バンクーバー・オリンピックの開幕まで1年を切ったが、リッチモンド近郊にあり、スピードスケート競技が行われる予定の新しいオリンピック・オーバルの事務局は、一風変わった問題に頭を悩ませている。建物の中をねぐらにしているフクロウが多すぎるという問題だ。

少なくとも1羽のメンフクロウが建物の窪みをねぐらにしており、ここ数カ月のあいだに何度も追い払う必要に迫られた。今週は2010年バンクーバー・オリンピックの準備大会としてスピードスケートの世界距離別選手権が行われたが、その間にいったい何羽のフクロウが建物内にいたのか、誰にもわからない。この数ヶ月でフクロウの目撃情報は複数回あり、それらはいずれも違う種類のフクロウである。

「建設中からフクロウがいたんですよ。フクロウ保護協会に2度もきてもらって、いろんな種類のフクロウを追い出しました」と話すのは、リッチモンド・オリンピック・オーバルの運営責任者、ジェイミー・レニエ氏だ。

「ネズミに似せたものをつけたヒモを使って、フクロウをおびきよせたんです」と同氏。だが専門家に協力をあおいでも、成果は芳しくなかった。

フクロウを追い払ってしまうには建物があまりに大きすぎて、現状では広い倉庫のドアを開け放し、フクロウたちが餓えて出ていくのを待つしか手がないという。

「フクロウを傷つけるのは本意ではありません。それだけはしたくないですね」とレニエ氏。「建物の大きさを考えると、ただ成り行きを見守るしかありませんね」というのが結論のようだ。

出典: http://www.theglobeandmail.com  2009年3月16日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月12日 (木)

古代エジプトのリサイクルブーム

「おくりびと」がアカデミー賞を受賞し、「悼む人」がベストセラーになっています。今日からミイラの最新ニュースをとりあげますが、考えようによっては、ミイラにするというのは究極の「悼み方」なのかもしれません。

========

エジプトのピラミッドに再利用の形跡

科学的調査により第6王朝期に建設された陵墓がほぼ2,000年後に新しいミイラの安置場所として再利用されていたことが判明

Thomas H. Maugh II

2009214

 

エジプトでは、ピラミッドでさえリサイクルされることがある。

同国の考古最高評議会に所属する考古学者が今週語ったところでは、第26王朝期のミイラ30体の隠し場所が、それより2,000年近く前の第6王朝期に建設された陵墓の中に作られていることが判明したという。第26王朝はペルシャなど外国からの侵略を受ける前の、エジプト人ファラオが統治した最後の時代だ。統治者にとっては大規模な陵墓の建設に必要な労働力を確保するのが次第に困難になってきた時代でもあった。

6王朝期のピラミッドはセネジェムという男のもので、実はマスタバ墓とよばれ、後にピラミッドに発展するもっと単純な形式である。この墓はカイロの南12マイルに位置するサッカラにあり、古王国の首都メンフィスで暮らしたエジプトの支配者のほとんどは、ここサッカラを終の棲家としている。

新しい隠し場所は第26王朝期に墓の側面にうがたれた36フィートの深さの竪穴の奥で見つかった。同評議会長官で調査を指揮したザヒ・ハワス氏によると、壁のすきまや棚の上から24体のミイラが発見された。そのうち子供のミイラが数体、犬のミイラが1体あった。いずれも腐敗がひどく、埋葬前に適切な処理が施されなかったものと考えられる。

調査隊は良質の白大理石でできたサルコファガス(石棺)2個と、木の棺4個も発見している。サルコファガスのうち1つはまだ封印が解かれていなかった。ハワス氏によれば、その棺を開くと、麻布を巻き樹脂で処理するという第26王朝に典型的な方法でミイラ化された遺体が出てきた。包帯のあいだから副葬品が出てくる可能性があり、CTスキャンのために一時的に運び出すこともありうるとの話だ。

棺の調査から、葬られたのはジェフティ・セシュ・ヌブの息子、イル・ルの孫にあたるパディ・ヘリという人物であることがわかった。この人物の身分に関する情報はないが、テーベ産大理石の石棺に入れられていることから、富裕層だったことは間違いない、とハワス氏は述べている。

出典: http://www.latimes.com/  2009年2月14日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 7日 (土)

我が家の新しい仲間

Photo_2

先日我が家に新しい仲間がやってきました。ハゴロモインコの「きーぼん」です。名前の由来は「黄色いから」。以前飼っていた黄色いセキセイインコも「きーぼん」だったので、今度のは「きーぼん2世」です。
生まれてまだ3か月ほどですが、いわゆる赤ちゃんの喃語のようなものをよく話します。特に台所で洗い物をしている時の水の流れる音、爪切りのパチンッという甲高い音が大好きで、私の爪と「鳴き交わし」ている時のにぎやかさは何とも言えません。巻き毛があって、止まり木を鉄棒の前回りの形でくるくるとまわります。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年3月 4日 (水)

アナホリフクロウが今度は建設現場に

さて、先日は野球場の外野部分に営巣したアナホリフクロウの話題をお伝えしましたが、今度は建設現場です。名前までつけてもらって、大切にされているようですね。

========

アナホリフクロウの夫婦が建設現場に営巣

デネス・ハスティ

 

ケープ・コーラル警察の新本署ビルには、既に入居者が住んでいる。だが実はこのビルはまだ建設中で、完成するのは6月のことだ。191億ドルもの建設費のために働いている作業員たちは、住民であるサージェント・ピーパーズ氏とミセス・ピーパーズ氏の2人が家でくつろげるように、あらゆる努力を惜しまない。

その住民とは実は鳥である。鳥といっても悪いことをして逮捕された鳥(jailbird=囚人)ではない。文化公園通りとニコラス通りの交点にある騒がしい建設現場で抱卵をしている、アナホリフクロウの夫婦のことだ。

「これは人と鳥の心温まる協力の例ですよ」と話すのはアナホリフクロウの保護を長く訴えてきた市議会議員のドローレス・ベルトリーニさん。彼女は主役となっているフクロウ夫婦の名づけ親だ。市の職員で建設プロジェクトの管理を担当するオリバー・クラーク氏によれば、親フクロウと卵を守るため、作業員たちは巣の周囲に立入禁止区域を設けた。またフクロウの営巣空間を確保するため、排水管の移設が進められており、ビルの前庭の設計変更が計画されている。フクロウに便宜を図ったからといって建設費用が増えるわけではない、と同氏は話す。

 

アナホリフクロウが正式な市の鳥になっていて、先週「アナホリフクロウ祭り」が開催された街の話題として、これはまさにぴったりの話であるように思える。ケープ・コーラル野生動物友の会会長のパスカ・ドナルドソン氏によると、アナホリフクロウは体長7から10インチ、翼開長22インチ、重さ6オンスで、名前からもわかる通り自分で掘った穴に営巣する。アメリカ国内の生息数は推定10,000羽。ケープ・コーラルには1,300もの巣があるが、何羽が市内に生息しているかは不明だという。

このフクロウは州と国の法律で保護されている。クラーク氏によると、昨年秋には営巣主のいないアナホリフクロウの巣穴を3つ除去してもよいという許可が出た。市はこれらの鳥のために市役所の敷地内に新しい巣穴を掘ったが、今のところそこに営巣しているフクロウはいない。ところが4つめの巣は営巣主が毎年使っているものだと考えられ、予想通りサージェント・ピーパーズとミセス・ピーパーズが数週間前に戻ってきて、巣を構えた。

ベルトリーニ氏によると、アナホリフクロウはふつう何年も連続してこの季節に同じ巣に戻っては、繁殖期のあいだに抱卵し、ヒナを育てる。この夫婦ももちろん警察署に永住するだろう。

巣穴は建物の入口にあたる敷地の北側にある。フクロウたちは毎日横を歩いて通る何十人もの作業員や、敷地一帯で働くトラックや建設機械に、特に動じる様子はない。そう話すのは、この警察署の建設にあたるバルフォア・ビーティ建設の施工責任者、デニス・レモンズ氏だ。鳥たちは巣を自分好みに模様替えするのに余念がない。「鳥たちは巣を金属片やヒモで飾りたてています」と同氏。飾りつけをしていない時は、「立って作業員を見つめているだけ」だそうだ。ベルトリーニ氏によれば、これは巣を見張っているのだそうだ。

「オスは巣の前で巣を守っています。そこにくる者を見張っているのです」と同氏。2005年に市議会にアナホリフクロウを市の鳥にしようと提案したのは、他ならぬこの人だ。鳥たちは捕食者の目を欺くために、廃材を巣の周囲に積み上げるらしい。

フクロウを引っ越しさせたからといって警察署の建設スケジュールが狂うわけではない、とクラーク氏は話す。ビルはスケジュール通り6月末までには完成し、7月からは新しく本署の仕事が始められる見込みだ。「これは建設業者と自然が共生できる証拠ですよ」とドナルドソン氏は話している。

出典: http://news-press.com  2009年3月1日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 3日 (火)

今日は桃の節句。全国的に雪の予報が出ていますが、先日我が家の庭先で見つけた春の訪れを告げるものを載せてみます。

Photo_2

イカリソウの芽です。実物は2ミリほどなので、かなり拡大されて見えるでしょうが、もうすぐぐっと伸び出して、来月にはあの面白い形をした花を見せてくれることでしょう。

Photo_3

もうひとつは風知草の芽です。こちらも拡大してみると、何だかタケノコが生えているように見えます。もちろん同じイネ科の植物なので似ているのは当たり前でしょうか。雪も楽しみですが、早くまっとうな暖かい季節がきてほしいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 2日 (月)

ハワイの火の神の遣い、プエオ

今日はハワイで神の遣いとされているコミミズクの話です。神話が現代の体験談とオーバーラップしていて、興味深いものがあります。

========

プエオとその不思議な力


ステファノ・ビスカリ談、2001415

Photo_4 

ハワイの草原の上を飛ぶプエオ(写真 服部祐三)

私はもう20年近くハワイのマウイ島に住んでいるが、プエオ(ハワイのコミミズク)は私の「アマクア」(祖霊・守護神)になってくれただけでなく、文字通り命を救ってくれた。

私がマウイにやってきたのは1981年、当時私はカナパリビーチにあるリゾートホテルでシェフをしていた。ハワイでの生活はとてもお金がかかった。私は副収入を得ようと、島の反対側にあるワイルクのマウイ・コミュニティー・カレッジで上級調理コースの指導を始めた。

スケジュールはとても厳しく、朝の2時にホテルでの仕事が終わったとしても、翌朝730分までにはワイルクにいなければならない。ワイルクまでは車で35分の道のりだが、海岸に沿った2車線のハイウェイで、崖をトンネルで縫うように走る美しい道だった。隣あう島の溜め息の出るような景色が見え、季節によっては繁殖期のクジラが年に1度の回遊をしてくる様子を眺めることもできた。

言うまでもないことだが、睡眠不足と過労の続いた状態で毎日運転するのはとても危険なことだ。そんな働き方を2年半も続けていたのには理由があり、1984年の夏をフルに使って行く予定の、ヨーロッパ旅行の費用を貯めるためだったのだ。ある日の午後、私は午後の行事に参加するため、いつもより遅くまで学校に残っていた。家路についたのは、もう暗くなり始めた頃だった。トンネルがいくつも続くところにさしかかった頃、私はへとへとになりかけていた。トンネルを抜けると道は下り坂にさしかかり、海面の高さまできて平坦になる。右側にはキアヴェの森があり、地元の人がキャンプファイヤーで使うために切り出した薪がところどころに積んである。左側には雨季になると赤い泥土が流れ込んでくる、キアヴェの並木に沿った白い砂浜がある。ホノアピラニ・ハイウェイのこの辺りで起こった出会い頭の正面衝突事故の話を、何度も聞いたことのある方もおられることだろう。車はこの中央分離帯もない2車線のローラーコースターのようなハイウェイを時速120マイルでぶっ飛ばすのだ。

私を乗せたジープはセンターラインを越えて赤い泥土やキアヴェの木、岩がちな海岸の方へ向かっていった。私はハンドルを握ったまま居眠りをしており、気がついた時には命は風前の灯火だった。

ジープが反対車線の路肩に近づいた時、何か真っ赤なものがフロントガラスに激しくぶつかった。その突然のタイミングのよい出来事のおかげで、私はすんでのところでハッと目を覚まし、ハンドルを切って海の方向へ進んでいた車を正しい車線へと戻した。そしてフロントガラスについた25セント硬貨くらいの大きさの黒い溶岩のようなものが何なのかを確認しようと、車を端に寄せて停めた。それこそが、まさしく私の命を救ってくれたものだった。だがこびりついた塊はこすり落とすことができず、何だかわからなかった。当時、私は誰にもこの話をしなかった。正直なところ、誰も信じないと思ったのだ。

ともあれ少ししてからカヌービーチで私の歓送会が企画され、地元の人たちがヨーロッパ旅行への出発を祝してパーティを開いてくれた。

まさに日が暮れようとした時、1羽のコミミズクが私たちの上で輪を描くようにして飛んだ。地元の人たちは大喜びで、これは幸運のしるしだ、君はきっといつかこの島に帰ってくるに違いない、と言うのだった。

さて、1988年のこと、私はカリフォルニアで開発業者と意気投合し、偶然マウイ島で行われる2件のホテル開発の案件に携わることになって、新しいリゾートの設計をするために島へ帰ってくることになったのだった。プエオが私の暮らしの中に入ってきたのはその時だった。私が話すことのできるプエオ絡みの物語や事件は、両手の指では数え切れないほどある。要するに、プエオは私のアマクアになってくれたのだった。

1999年の冬になって初めて、私はジープでの体験を他人に話した。マウイ南岸にレストランを兼ねたギャラリーを開くことになり、ハワイの伝統との調和を図るため、現地のカフナの世話人に開店を祝う儀式をしてくれないかと頼んであった。依頼したのは単なる通り一遍のカフナではなく、ハワイ国家の精神的先導者であるチャーリー・マクスウェル大兄、つまり「大カフナ」だった。儀式のあと私はチャーリー大兄を彼のバンまで送り、1984年のあの夜の出来事のことを話した。すると彼は私を見つめ、一言こう言った。「プエオじゃよ」。それから「プエオは火の神ペレの遣いなのじゃ。やつはその夜、融けた溶岩を君の方に投げてよこしたに違いない。アマクアの仕業じゃよ。我々を守ってくれとる」と。

その時、すべてが明らかになった。このフクロウがなぜいつも私の人生の節目の決定的な瞬間に現れるのかが。大兄がプエオだと言った時、私がどう思ったかを想像してみてほしい。そしてフクロウとそのパワーがどれほど私の命の力になったかを、ぜひとも思い描いてみてほしい。

出典: http://www.owlpages.com

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »