富士山六態
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大井町駅の西口を出てすぐ南側に、線路を斜めに横切るちょっと変わった踏切があります。名前を「品川道踏切」といい、その西側に斜めに商店街のあいだの細い道をたどっていくと、「三ツ又」という交差点があって、角に「三つ又地蔵尊」が祀られています。この品川道、少なくとも平安時代から続く古い東海道(いにしえの東海道)と江戸時代にできた旧東海道(ややこしい言い方ですが)を結ぶ道で、三つ又交差点がその分岐点でした。「いにしえの東海道」の本道は三つ又交差点から左に坂を下っていく道で、鎌倉時代以降はそのまま鎌倉往還として使われました。地蔵尊からすぐのところに源頼朝が戦死者を弔うために経を埋めた跡といわれる庚申堂があります。
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このところ行く先々で昔の鎌倉街道に出会うので、一度カメラを持ってまとめて辿ってみようということになり、豊島区の千川上水沿いから北区の旧岩淵宿までたどってみました。地図の関係で、今日掲載するのはそのうちの3分の2ほど、板橋区志村周辺までです。
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東京国立博物館の庭園で春の公開が行われています。今年は3月9日から4月14日までだそうです。今年は桜の開花が早いので、この週末あたりがちょうどよいかもしれません。下の写真を撮影したのは3月17日ですが、枝垂れ桜がもう少しで見頃という感じでした。
茶室「六窓庵」の手水鉢。四方仏水盤という形式で、延長3年(925年)に関白藤原忠平が建立した法性寺という寺の石塔を転用したものだそうです。茶室の方は金森宗和が奈良の滋眼院(じげんいん)に建てたものを明治年間に移築したものです。
茶室「転合庵」遠景。茶会が行われていて見学できませんでしたが、こちらは小堀遠州が京都、伏見の六地蔵に建てた茶室を移築したものです。
池の南側に植えられているエドヒガンの枝垂れが見頃一歩手前でした。枝垂れはソメイヨシノより少し花期が早いので、そろそろ満開になっているかもしれません。
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今回は伊勢殿橋跡より上流部分です(撮影日は2012年5月13日)。練馬・豊島区境から伊勢殿橋跡まではその1をご覧ください。
上水は伊勢殿橋跡のすぐ脇から開渠になります。かつてはここから東側の六ケ村まで分水が引かれていました。上水の水は、現在では妙正寺川に向かって放流されています。
竹下橋から下流側を望む。春の小川がさらさら流れています。
同じ竹下橋から上流を望む。脇には広い畑が広がっていて、都内とは思えないのどかさです。
石神井西中学の脇を流れる上水。つつじがよく咲いています。
吉祥橋付近。脇に大きな屋敷林が。
井口家の屋敷林遠景。手前の畑ではキャベツがよく育っています。
更新橋の庚申塔。
三郡橋(みごおりばし)。新座郡上保谷新田、北豊島郡関村、北多摩郡関前村の境だそうです。現在は電気通信研究所の横の交差点になっています。
関前橋付近。この辺りまでさかのぼってくると、流路は直線的で、明るい木陰になっています。
境橋。現在の千川上水の起点です。道路の右側に見える並木が玉川上水、左側に見えるのがそこから分かれた千川上水。
現在の分水地点、「さかいはし」の欄干。
分水地点を千川上水の側から見たところ。昭和41年以前はここではなく、600メートルほど上流にある旧取水口から水をとっていたそうです。
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千川上水を豊島区と練馬区の区境付近から分水口までさかのぼってみました。
都会とは思えないのどかさで、青葉の季節の散策にぴったりです。撮影は2012年5月13日(日)。
豊島区から練馬区に入ったところ。この付近から江古田分水が南へ分かれ、江古田川から妙正寺川に注いでいました。
武蔵大学構内を流れる濯川(すすきがわ)。かつての中新井分水です。
濯川。南側(右手)には大学のグラウンドが広がっていて、球音が響いています。
練馬駅前、筋違橋跡。かつては千川がここで屈折し、清戸道(都心部から現在の清瀬方面に向かう道)の下をくぐっていました。
中村不動尊。かつて中村橋のたもとに祀られていたお不動さん、現在は数十メートル下流の中村分水跡に移動しています。
中村不動尊の南側に続く中村分水跡。細い道ながら両側に並木が植えられています。
中村橋跡。面影はまったくありませんが、駅名に名を残しています。武蔵高校が1939(昭和14)年に行った調査で「此の辺の千川は大層深くV形をしている、底は主として赤土、幅は五米もあると思う。両堤に桜が植えてある。」と報告されているそうです。(豊島区教育委員会、千川上水探訪マップ、1996年より)
九頭竜弁天。数十メートル上流にあった九頭竜橋の袂から移動してきました。
九頭竜橋跡。川はここで45度ほど屈折しています。
長命寺道標。三兵橋跡です。長命寺はこの道標に向かって左の方向にあるので、元は道の向かい側にあったことがわかります。
千川上水橋梁。西武新宿線上井草駅の西側にある踏切の下を千川が流れています。鉄道敷設にあたって鉄橋を短くするため、流路がS字形に曲げられたようです。
現在は上流の千川上水緑道で道路整備工事をしているため、水は流れていません。
西武新宿線上石神井車庫区の南側で、直交する谷を渡るために土手が築かれていて、水はその上を流れています。これを築樋(つきどい)といいます。道路から一段高くなっているのがその部分です。
上石神井の給水塔。江戸時代につくられた上水道のほとりに、近代的な給水塔が建っているのが興味深いところです。
上石神井駅の西側をまっすぐ南下したところにある庚申塔。立野橋跡です。「地蔵うどん 六義亭」といううどん屋さんの一角にあって、かつては一帯の湧水でうどんを打っていた、と書いてあります。
千川上水緑道。道路整備のため掘り起こされていて、現在では全く上水の痕跡はありません。したがって、ここから下流への放流は行われていません。
伊勢殿橋跡。青梅街道との交点です。バス停の名前は「水道端」。
ここから上流は現在でも開渠のままで、鈴木都政下の1986年に行われた「清流復活事業」で水流が復活しています。
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山道で久しぶりにあの花と出会いました。マムシグサです。
場所は埼玉県日高市の西武鉄道沿線。高麗駅から10分少々の沢沿いの小道。サトイモ科、テンナンショウ属の植物で、両手を広げた人物のような不思議な形をしています。この仲間の植物の研究をしている高須英樹先生によれば、「飛び立とうとする竜」の姿に似ているとか。
この植物の面白いところは、栄養の状態によって性転換すること。地下にできる球茎が小さいうちは無性で、次第に栄養が蓄えられてくると雄花をつけるようになり、さらに育つと雌花をつけるようになります。しかもこの転換は可逆的で、栄養状態が悪くなると今まで雌花をつけていた株が雄花をつけることもあるとか。
つまり太らないと女になる資格がないということ?
縞模様のある筒のような形のものは仏炎苞(ぶつえんほう)といって、花を守るための入れ物。その中にのぞいている丸いのが花の集合体、つまり花序です。
確かに飛び立とうとする竜のようです。
葉っぱはたくさんあるように見えますが、実は2枚しかありません。
縞模様が実にきれいです。雄花は花粉があるので、苞の中をのぞくと白く見えます。
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ブドウの芽が日一日と展開していきます。枝先にある芽の方が先に開くようで、同じ株の中でも進み具合が違います。ちなみに品種はデラウェア。ジベレリン処理などはしないので、種なしにはなりません。
展開前の芽。これも今日撮った写真です。一週間ほど前はほとんどこんな状態でした。
少しほどけた状態です。
細かい毛が生えていて、やわらかそうです。
さらに展開すると、こんな風になります。
ひとつの芽の中にたくさんの葉が折りたたまれていたのがわかります。
葉と葉のあいだにはもう花芽が顔をのぞかせています。
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